takatuki3の日記

年寄りの面倒くささも、介護のしんどさも分かってるけど言わなきゃおれない愚痴。

家の認知症。

よかれと思って…。

 

 

しなくて良いです。二度手間です。

 

 

食器を洗っても汚れは落ちていないので、洗い直し。得られるのは本人の洗ったという満足感と達成感のみ。

 

 

だけどやらなきゃ、役割がなくなったらそれで終わりだと思ってる。その理屈はわかるけど。

 

 

役割がなくなっても、大人しくしていてくれたほうがこっちとしてはありがたい。

 

 

「助けてと言いなさいよ」は通用しない。

「助けてって言いなよ」「大丈夫?」「今日は調子どう?」は社交辞令。

 

聞いてきた相手が欲しい言葉は言葉の意味に中身などありません。感情交換というやつ。大丈夫です〜とか調子いいですよ〜とかそういう感情交換です。マイナスの発言なんて聞きたくないんですよ。助けられないし。なので、助けて欲しい疲れている側からすると、言わないで欲しいよね。明らかに元気そうな人に言って欲しいね。貴方の望んだ返答はできそうにないんです。

 

これを、本当に助けて欲しい人が聞いた時に、口先だけの人となる。特に子供を相手に働く頻度が多い大人に言われると、後々の人生で助けてを言わなくなります。「助けて」と言っても物理的に助けてくれないとね。

 

助けて欲しいけど、何がして欲しいかが分からないレベルまできていると話だすところまでが大変。

発達って?

ずっとグルグルしていたのは、定型発達と非定型発達の違い。

 

非定型発達は色々と性格傾向や対策など出てきてるけど、じゃ定型発達の性格傾向ってどんなもの?

 

ネットで探しててふと目についたんだけど、

 

 

暇な時はなるべく誰かと一緒に過ごしたい

集団の和を乱す人を許せない

社会の習慣にはまず従うべきだ

はっきり本音を言うことが苦手だ

必要なら平気で嘘をつける

 

 

私と真逆すぎて、じゃあ私は非定型かぁ〜と納得した今日このごろ。

 

で、何故この定型発達が嫌いなのかというと母親。

 

幼少期は母親のこの必要なら平気で嘘を付くのと、暇なときはなるべく誰かとで、苦しんだせい。

 

+幼児期と学童期の集団の和を乱す人を許せない、社会の習慣にはまず従うべきだ(根拠のないルール)に疲弊したから。

 

という、今までの過去と経験と何が違うかの総合が、スッキリしたので息がしやすくなった今日。

 

が、定型発達に合わせる気力も能力もないので、変わらず非定型で生きづらい社会で生きていきます。

 

定型発達の言語は全部、必要なら平気で嘘を付くだよ。聞き流すに限る。

 

こういう理屈で性格傾向を覚えても、それでも過ごしにくいから。生きるのに向いてない。

 

時折、定型発達の話でこらはするように促されているのか疑心暗鬼になって、更に人との関わりが気持ち悪くなっている。

親との関係

子供の時は親に都合の良いちゃんとしたいい子であると褒められた刷り込みで生きていけた。

 

高校、大学、社会人になるにつれ、それは通用しなくなる。けど褒められる刷り込みが親にとってのいい子であれば しかないのでそれ以外の褒められた経験がなく自己も目的も目標も何もかもわからずに詰む。

 

それによって生きることを挫折する。どうにか取り繕うと頑張るけど、無いところから有は生まれない。ずっと試行錯誤しながら息苦しい中を生きている。

 

どうしても、親のせいにしてしまった方が自分のメンタルとしては楽なのよ。自分のせいにしても何十年もそれを抱えて生きられない。

デイサービスにて

年寄りの爪切りをしてくれたのはありがたい。

 

途中で皮膚を切ってしまってカットバン保護をしたのも良い。

 

その報告がなくても、まぁ忙しかったで許そう。

 

ただ、

 

爪切りは最後まで終わらせてほしかった。

 

家に帰ってから、爪切りを仕損じた爪が引っかかると言われ、カットバン保護したあとどっか行って切ってくれなかったと言われ、それをまたキレイに爪切りをし直す手間。

 

お願いだから手を出したのなら最後まで終わらせてから開放して。

 

 

本人は自分でハサミを持ち切ろうとする。こっちの都合などお構いなし。

 

 

ハサミを持って切るのでも良いじゃないか?ハサミで怪我したあとの処置がしばらく続くのが嫌なの。

 

 

かと言って、家族にはこういう事にならない限りは爪切りをさせない。

 

 

人間が面倒くさい。